BEST FRIENDS

30代 3人組 stillキラキラLIFE

誰も興味ない ⑩私達の愛車編(高校時代)

人生の "半分、親友"

な私達の大事なママチャリのお話。

 

チャリ通(自転車通学)だった私達は、電車に乗ってどこかへ出掛けるという概念がなかった。

どこへ行くのもいつもチャリ。

決して挑戦するつもりはなかったけれど、

「チャリで日本横断もできただろう。」とありは言う。

 

最近では健康のためか、それとも流行りなのか、

男女問わずチャリで颯爽と通勤している人の姿をよく見かけるが、

「これは間違いなく私達が先駆けだ。」とゆりは言う。

 

 私達はチャリで数々の伝説を作った。

 

映画を見に行くのももちろんチャリ。

それにはまず、大きな橋を2本越えなければならない。

橋をこえるときは、チャリから降り、引きながら越える。

ここで一度心が折れる。

あまぎーごーえー (ちよの十八番)

 

2時間かけてチャリをこぎーの、

2時間映画見ーの、2時間かけて帰りーの。

心動かされる映画を見た後の帰り道は2時間無言だ。

2時間の映画に往復4時間は割に合わないと思うかもしれないが、

映画の世界に浸るのには好都合とも言えた。

 

ママチャリさんきゅー。

 

 

 そして隣りの隣りの区に住む友人宅へ遊びに行くときも、もちのろんチャリ。

時間配分を間違え、差し入れのケーキを地元で買ってしまい、

1時間弱ケーキの箱をかごの中でカタカタ揺らした事もあった。

が、チャリは無事にケーキを運んでくれた。

 

ママチャリさんきゅー。

 

映画館も、隣りの隣りの区も、1番近くに住んでいるのは決まってちよだったが、

なぜかちよはいつも不参加だった。

遠いと言っていたような気もする。

 

そして、チャリで長距離移動すると、

5回に1回の確率でありのチャリがパンクした。

そのたび自転車屋さんを探して走る事となり、長距離が超長距離となる。

 

ありは、はりがねをチャリのハンドル部分にからめ、

伸びた先端を星形にし、アンテナのように立てていた。

そしてキャサリンと名付け、入学当初から大切に乗っていた。

 

チャリなしでの長距離移動は考えられず、

何度もパンクと向き合いながら、

高校卒業までその愛車にお世話になった。

 

その後、時は金なりと気づいたのだろうか。

私たちはチャリから原付へと乗り換えることとなる。

 

 

 

文章 あり

   ゆり

既読 ちよ